FC2ブログ

2018.3/3-6 霧島の雄叫びに哭いた 第二十七章 志布志市志布志町志布志の志布志駅

第二十七章 志布志市志布志町志布志の志布志駅
志布志駅名標

 日向大束駅自体はよくある二面二線の交換可能駅だが、改めて日南線の駅名を見ていると、違和感があった。南宮崎駅からここまで、旧国名を冠する駅は一つもなかった。私は「日向」を名乗る駅名といえば日豊本線日向市駅が真っ先に浮かぶが、これは宮崎駅からだいぶ北にある。「日向」の表す範囲が広すぎないかと思って調べたところ、何と旧日向国は、現宮崎県と全く同じ領域であった。だから日向市も日向だし、串間市も日向だ。

 それと、ここまでの日南線の駅名は、特徴的なものが多く、旧国名をつけなくていいということも考えられる。その一方、「会津」から始まる駅が五つも続く只見線などは、地名の個性に乏しい。

 串間市に入ると、あたりは雑草茂る荒原か、畑ばかりになった。このあたりもやはりシラスで出来た土壌なのだろうか。そういえば茶畑もあった。シラスにも茶は生えるのだろう。シラスは水はけが良すぎることから、稲作には全く向かない。そのため南九州では、薩摩芋油菜など、水分を含まない土でも生える作物が栽培される。特に薩摩芋は、江戸時代以降薩摩藩、鹿児島県を代表する作物となった。

 串間駅を過ぎると再び海岸線に沿った形で走り、終点志布志駅へ最後の踏ん張りを見せる。串間市の西側は旧福島町に当たることから、福島高松という面白い名前の駅がある。これは勿論、福島町領域に高松という大字があり、そこに出来た駅であることに由来する。1949年に仮乗降場から駅に昇格したものの、1962年には早くも無人化され、以来五十年以上も閑散たる無人駅として存在している。
福島高松駅名標

 宮崎県と鹿児島県の県境を跨ぎ、列車は志布志湾を見下ろす高台に出た。鹿児島県最初、と言っても二つしかないうちの一つ目の駅は、大隅夏井駅である。一面一線で利用者僅少のよくある駅だが、構造が面白い。田舎のバス停で見かけるかまくらのような待合室を思い浮かべてもらったらいいが、まさにそんな駅舎が、歩道に連結しているのである。大井川鉄道の塩郷駅や、五能線の風合瀬駅なども歩道とホームが繋がった駅であるが、大隅夏井駅は駅舎がある分、バス停っぽさが際立っている。

 列車は高度を徐々に下げ、前川という小さな川を渡ると志布志市の市街地へ出て、8:39、頭端式ホームの志布志駅に到着した。日南線片道88.9kmの旅の終わりである。営業路線としてはホームが一つしかない駅だが、駅舎は小奇麗で、流石に終着駅だと感心した。駅舎は2018年3月現在改装工事中であり、作業員氏が作った板の道に従って駅の外へ出た。


 志布志市中核国際港湾として非常に重要な志布志港を擁する地である。人口約三万人といえど、立派な「市」である。が、駅前は朝の八時半だからか車通りも人通りも少なく、新旧の建物が混在していて、いかにも地方都市といった雰囲気である。港湾都市としての立場が、辛うじて「市」としての威厳を持たせている様な場所だ。
志布志駅前

 私は折り返し8:56発までの時間で、どうしても見ておきたいものがあった。志布志といえば、「志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所」である。これはかつて曽於郡志布志町志布志であった現地に、志布志町役場があったことに端を発し、2006年、所謂平成の大合併により志布志市が誕生すると、曽於郡の文字はは志布志市に置き換わる。そしてこの志布志町役場は、「志布志市役所の志布志支所」と立場を変えた。これによって、「志」が十個、「志布志」が五個も連続する珍所ができてしまったわけだ。ちなみに、志布志市役所の本所は、志布志駅から北西に直線距離で5km以上も離れた高台にある。

 さて、その志布志支所に行ってみたいわけだが、事前の準備不足で、何処にあるのか調べていない。インターネットで、志布志駅に行った人が支所の写真をアップしていることから、どうせ駅の附近にあるのだろう、と思っていたのである。

 しかし駅周囲を時間が許す限り歩き回ったが、見つけたのは郵便局と警察署だけで、肝心の支所は全く見つからない。そうしているうちに時間切れとなり、泣く泣く駅舎に戻ることになった。

 今これを書きながら調べてみると、このとき見つかる筈がないことがわかった。志布志支所は、駅前の通りから郵便局を通り過ぎ、その次の交差点を右へ曲がって、しばらく直進した後、ある交差点で左向け左をすれば見えてくる。ここまで歩くとなると、往復1kmを超える道のりとなり、とても十七分の折り返しには間に合わない。

<<次回に続く>>
スポンサーサイト



2018.3/3-6 霧島の雄叫びに哭いた 第二十六章 日南市

第二十六章 日南市

 飫肥駅を出た列車は大きく左に曲がって、針路を南西から南東に変えた。次は日南線の名の由来、日南駅である。現在の日南市は市区町村合併を重ねて出来た、一つの大きな行政区画である。そのため現在でも、「~地区」と言う形で、合併前のそれぞれの市区町村と略一致した境界がある。日南市は吾田油津飫肥北郷南郷などの地区に分かれていて、概ね駅名がそれを示している。なので日南市の駅には主要駅が多く、JTB時刻表もそれを物語る様に、ゴシック体駅名がこのあたりに密集している。日南駅は、日南市の中で最も栄えている吾田地区にあって利用者も日南線の中ではそれなりである。だが観光需要がある飫肥駅の方が利用者は多く、列車は全て油津、南郷、志布志のいずれかまで走るから、始発終着駅でもない。やや貫禄に欠ける駅だ。
日南駅名標

 ここでも早咲きの桜を一瞥し、列車は次の主要駅に向けて走り出した。次が油津駅、今回の旅程で、宿泊地候補となった場所である。宮崎駅、南宮崎駅からの列車の多くは青島駅を越えて運転されるが、そのうち少なくない数が、この油津止まりである。重要港湾油津港を抱える大きな地区だから、日南止まりではなくここまで運転するのだろう。志布志方面への始発列車も設定されているから、日南線の運行拠点である。ホームには花壇が並べられ、明るく清清しい南国の風が流れているようだった。
油津駅名標

 油津駅を出ると、束の間の海岸線区間が待っている。日南線は大体山の麓か山間を走っていて、車窓は陸地ばかりだが、ここだけは陽光が照り返すぎらぎらした南国の海を見せてくれる。私は進行方向右側にいるから海が間近に見えないが、左側を見てみると、窓枠から海が見えていて、朝日がほんのり茜色の背景を与えている。実に絵になる。車窓からは対岸の猪崎も見えている。
油津港湾

 漁業の南郷地区の玄関口、南郷駅も重要な運行拠点である。宮崎方面から油津を越えて走ってきた列車の一部がここで折り返すのだ。観光特急海幸山幸号の始発終着駅も、ここ南郷駅である。だが実際に来てみると驚嘆する。なんと一面一線構造なのだ。これではとても拠点とは言い難い。時刻表を見ると、日中の南郷行き普通列車は、そのまま折り返して油津方面へ向かっている。22:42着の南郷止まりに対応する折り返し油津方面行きはないので、恐らく油津駅まで回送され、翌朝の油津始発に充当されるのだろう。
南郷駅名標

 だが海幸山幸号はそうではない。11:42に到着した後、上りは15:35発だ。この間12:37発、14:44発の上り普通列車が、南郷駅を出発している。

 調べてみると、海幸山幸号は南郷駅到着後、7kmも離れた油津駅へと一旦引き上げ、15:35の上り発に間に合うように、また回送されてくるのだという。何と手間のかかることを、と思うが、一面一線の南郷駅などを始発終着に設定してしまった以上仕方がない。

 日南市の代表地区を走ってきた日南線は、南郷駅を過ぎると、また次の平野部に向けて山越えを始める。鯛取山、鹿久山の谷あいを榎原川に沿ってそろそろ上っていく。茶畑が見受けられたが、シラスの土壌にも茶は生える様だ。この谷を抜けた先は、宮崎県最南端の市、串間市である。南郷駅で運転系統が切れているのは、南郷以北は日南市、南郷以南は串間市の交通手段として機能しているためと推測される。

<<次回に続く>>

2020.2/12 京急本線・江ノ島電鉄の旅-2

2020.2/12 京急本線・江ノ島電鉄の旅-2

この記事は「2020.2/12 京急本線・江ノ島電鉄の旅-1」の続きです。

前回は京急で横浜駅に到着したところまで紹介しました。今回は横須賀線で鎌倉駅に到着してから先の、江ノ電観光を紹介していきます。

今回の旅は、乗る電車を一切決めていない、と前の記事で書きました。それは同時に、「いつどこを訪れるかすら決めていない」ということです。これほど無計画な旅は初めてですが、江ノ電だからこそできる技です。

まずは鎌倉から三駅目の長谷駅で下車。江ノ電といえば長谷寺ですね。
長谷寺20200212

拝観料が必要なわけで、当然ここで私は悩みます。お金を払って中に入るか、それともケチるのか・・・

悩んだ末に拝観料を払いました。やはり地方には金を落としていかなければいけません。卒業旅行資金は充分あるので、ここで四百円ケチる意味はないと判断したからです。

由比ヶ浜を見下ろす山腹に建てられた境内は、池や梅の木が並ぶ美しい佇まいです。山門を潜って境内に入った瞬間、満開の紅白梅大迫力の枝垂れ梅がお出迎え。お金を払ってよかった、と直感しました。
長谷寺しだれ梅202002

地震時の避難場所にも指定されている程の高台ですから、由比ヶ浜の眺めは格別です。長谷寺より由比ヶ浜を望む202002

しかし、南海トラフ地震でここに数十メートルの津波が押し寄せたら、江ノ電は間違いなく壊滅しますね。
将来が思いやられる・・・

梅も満開ですが、冬の風物詩山茶花もまだまだ残っています。観音さんと一緒になると、なんと厳かな雰囲気でしょう。
長谷寺観音さん20200212

長谷寺を後にし、そのまま北上してこれまた鎌倉名物の大仏を見に行きます。大仏の名が独り歩きしていますが、大仏を擁する寺院は高徳寺といいます。大仏は高徳寺の本尊である阿弥陀如来像で、国宝に指定されています。奈良の東大寺もまさしく大仏ですが、鎌倉大仏は屋外にある分明るくていいですね。
鎌倉大仏-1_202002

今は亡き母方の祖母が、祖父とともに鎌倉に来たのが今生の思い出だと語っていたそうです。鎌倉大仏を背景に映る祖父母の写真を見た覚えがあります。葬儀の遺影は、その時の写真を元に作ったものだったかと思います。もう十年も前のことですから、葬儀の舞台裏までは知りません。当時私は、中学三年生の受験生でしたから。
鎌倉大仏-2_202002

売店で土産まで買って、随分と長谷に金を落としました。次は昼食に向かいます。「のりおりくん」の特典で飲食代が割引になるお店へ向かいます。由比ヶ浜駅近くの中華料理屋さんです。
注文したのはしらすチャーハンセット。チャーハンの味はまあおいしいですが、淡白なしらすに合うかというと難しいですね。あと、量が少ない。割引されても九百円弱は高いなぁ・・・
ちょっと厳しい評価です。
しらすチャーハン2020212

「のりおりくん」ガイドによると、七里ヶ浜駅は海岸沿いで、海の眺めを存分に味わえるようです。江ノ島駅の前に立ち寄ることにしましたが、まず関東の駅百選の極楽寺駅で下車。駅舎だけ拝んで次へ。
極楽寺駅20200212

さて七里ヶ浜に到着。めちゃくちゃ風が強い。砂浜から小さな砂粒が飛んでくるっ・・・
しかし西には江ノ島、東には三浦半島の湾岸を望むこの場所は、まさしく絶景ですね。風さえなければずーっといたいところです。七里ヶ浜-1_20200212
七里ヶ浜-2_20200212
鎌倉方面へ向かう電車を駐車場から見送り、私も駅に戻ります。七里ヶ浜-3_20200212

次は江ノ島電鉄の名前の由来、江ノ島に向かいます。江ノ島駅で下車してからの行動は決めていませんでしたが、まだ時間もたっぷりありますから、江ノ島まで歩くことにしました。
江ノ島へ-1_20200212

江ノ島は元々第三紀の凝灰砂層の上に関東ローム層が堆積して出来た「島」です。昔は引き潮の際、境川河口が作った砂嘴が現れ、江ノ島と繋がったそうですが、関東大震災で砂嘴ごと一帯の地層が隆起し、現在のような陸繋島になりました。陸繋島とは言うものの、江ノ島と本州を結ぶ道路は勿論人工橋です。この橋の下には、細い陸地が見えています。

七里ヶ浜も風が強かったですが、こっちもだいぶ風が強く、波がいくつも立って壮観です。江ノ島へ-2_20200212

江ノ島に着きましたが、何をするか決めていないものですから、とりあえず江島神社に上ることにしました。参道にはいくつも食べ物の屋台やら飲食店がありますが、ここは我慢。
江ノ島神社20200212

また砂嘴の上の道路をのんびり歩いて江ノ島駅に戻り、残った藤沢駅までの路線を消化して江ノ島電鉄は完乗です。これで同時に、神奈川県に残る路線は、JR側のJR・相鉄直通線のみになります。
江ノ電藤沢駅20200212

鎌倉駅までの折り返しで、軌道区間の写真をぱちり。江ノ電は一般的な印象とは違い、殆どが鉄道区間で、軌道区間つまり路面電車区間はほんの一部だけです。
江ノ電軌道区間20200212

鎌倉駅に到着。お土産の江ノ電クッキーを買ってから、駅東口を出ます。狙うは勿論鶴岡八幡宮
小町通りを真っすぐ歩いていると、「鎌倉まめや」を発見。創作豆菓子が大人気のお店です。ありがたいことに略全品に試食があるではないですか。気になったものを片っ端から味見し、最終的に土産として二品を購入。土産代だけで合計\1700くらい使いました。とにかく観光地にお金を落とす、という配慮です。
鎌倉駅20200212

大分日も落ちて来ましたが、鶴岡八幡宮に到着です。応神天皇、神功皇后、比売神 を祀る神社で、源氏の守護神として鎌倉時代から崇められてきた歴史があります。鶴岡、と聞くとどうしても私は鉄道唱歌東海道編を思い出します。

ダークダックス版鉄道唱歌を愛聴している私は、大船から現在の横須賀線に入ってテンポが上がるところが好きなんです。テンポが上がって最初の歌詞が
横須賀行きは乗り換えと 呼ばれておるる大船の 次は鎌倉鶴ヶ岡 源氏の古跡や訪ね見ん
です。鉄道唱歌聖地巡礼の意味からも、今回鶴岡八幡宮は欠かせない場所でした。
鶴岡八幡宮-1_20200212

舞段を通り過ぎて境内を進むと、本宮に至る六十段の石段が出迎えています。これも鉄道唱歌に
八幡宮の石段に 立てる一木の大鴨脚樹 別当公暁の隠れしと 歴史にあるはこの陰よ
と歌われた石段です。そしてその隣には、無残にも地上数メートル程で寸断された大木が。歌詞にある「大鴨脚樹」です。

2010年3月10日、もう十年前のことですが、強風に耐えきれず、大銀杏の木は根元から三つに分断された形で倒木してしまいました。うち根元の一本は元の位置から7m離れた現在の位置に移植され、残った二つの部分は、八幡宮で保管されています。
銀杏再生の努力が実り、倒木から一か月後、元の位置には若芽 (ひこばえ) が生え、現在も着々と成長しているようです。
鶴岡八幡宮-2_20200212

陰から誰も飛び出てくることもなく石段を上り切って後ろを向くと、鎌倉市街が茜色の下に広がっていました

後は横浜駅に戻り、『阪神電車』氏と会談したのち、夜行バスで神戸に戻ったのでした。

これにて完結です。ではまた次回。ノシ





2020.2/12 京急本線・江ノ島電鉄の旅-1

2020.2/12 京急本線・江ノ島電鉄の旅-1
藤沢行き-1_202002

2/8,9の週末で第114回医師国家試験が終了し、いよいよ長い春休みが始まりました。
卒業旅行第二弾として、2/12、出かけてきました。

第一弾前編・・・2019.12/11 京王電鉄乗りつぶしの旅 (卒業旅行その一) 前編
第一弾後編・・・2019.12/11 京王電鉄乗りつぶしの旅 (卒業旅行その一) 後編

まずは神戸から夜行バスで新宿へ。品川行きのバスってのがないんですよ。やむなく新宿から山手線で品川駅へ。
それはそれはすごい満員電車で、これぞ東京、って感じです。

で、乗ること約二十分、品川駅に到着しました。こうして見ると、山手線一周って結構長いんですね。新宿~品川ですら二十分ですから。
品川駅舎高輪口20200212

さて、ここから泉岳寺駅まで歩きます。京浜急行電鉄はこれまで支線と三浦半島部分を制覇してありますが、本線の泉岳寺~横浜間だけまだなんです。これを機会に始末しようということで、今回はまず東京都に乗り込んだわけです。

歩いている最中に、泉岳寺は文字通り寺の最寄りであることを思い出します。鉄道唱歌でも
右は高輪泉岳寺 四十七士の墓所 雪は消えても消え残る 名は千載の後までも
と歌われる立派な寺です。電車に乗る前に、少し見物していこうと思い立ったのです。
泉岳寺入り口202002

泉岳寺の地下駅入り口が見えてきたところで、交差点を左に曲がり、直進するとありました。
思っていたより小さな門構えですが、ちゃんと「泉岳寺」の文字が。
泉岳寺の詳細な縁起は、写真の立て札をご覧ください。
泉岳寺縁起202002

あまり時間がないので、赤穂浪士のお墓へ。鉄道唱歌に歌われた場所巡りは、いつも緊張感があります。
階段を上り、墓地の案内を見ると、四十七士に加え、浅野内匠頭を含めたお墓の配置が描かれています。

霊園にあるような角ばった石のお墓ではなく、質素に見えますが、こういう形の方が、昔の侍の墓、という感じがありますね。
ここにあの忠臣蔵の皆が眠っているとは、とても信じられません。以前研究室の旅行で、赤穂に行ったことがあるからです。
何とも不思議な感触でした。
赤穂浪士墓202002

墓参を済ませ、駅に戻ります。暖冬の影響で、もう桃色の梅が花開いていました。
泉岳寺梅202002

さて、泉岳寺駅から乗りつぶしを始めます。一気に横浜まで行くので、できれば快特に乗ってみたかったですが、時間が合わず特急三崎口行きに。都営浅草線からそのまま京急線に乗り入れる爲、既に乗客がいます。
泉岳寺駅名標202002

京急の快特は速い電車の代名詞ですが、特急は結構途中駅に止まるんですね。品川を出た後は青物横丁平和島蒲田川崎神奈川新町横浜と止まります。快特なら蒲田と川崎しか止まりません。有名な爆走を見せてくれるものと期待しましたが、走っては止まりを繰り返すので、少々満たされぬ思いでした。

品川駅を出ると道路の八ツ山橋と並行して、JR各線を跨ぐ名所に差し掛かります。品川駅の時点では、京急がJRの西側にありますが、ここでJRの東側に出て、横浜まで競合区間となります。

空港方面が分岐する蒲田駅は、複雑な立体構造になっていて、かつて空港線の爲だけに来た時を思い出します。あの時は東京モノレールで羽田空港へ、そして空港から京急で蒲田に来ました。京急の蒲田はこんなに大きな拠点ですが、JRの蒲田は京浜東北線しか駅がない不遇ぶりです。

蒲田駅を出るとJRと京急が輻輳し、仲良く並んで多摩川を渡ります。多摩川。この川も幾度となく鉄道で渡って来ました。直近では卒業旅行第一弾の京王で渡っています。そして多摩川を渡った先が、JRでも南武線が分かれる拠点、川崎です。川崎市は神奈川県第二の人口を誇る市ですが、政令指定都市の中で面積は最小です。人口過密地帯の典型例ですね。こういう過密人口は、地方に分散させないといけないはずなんですが・・・
川崎駅は大師線の分岐駅で、乗り換え案内も入ります。大師線は「川崎←→小島新田」の表示を出した普通電車が往復するだけの、乗るにはつまらない路線です。

鶴見駅を出るとJRと京急がぴったりとくっつき、共に横浜に向かいます。この辺りで、JR線上に215系電車を見かけました。この電車はホリデー快速ビューやまなし号のイメージが強いのですが、国府津車両センター所属で、平日の湘南ライナーなどの運用に就いているようです。二階建ての観光列車設備ですが、元々は通勤を快適にすることを狙って作られたものです。その理念は、今のE231系やE217系の二階建てグリーン車に生きているように思います。

ホームドアがずらりと並ぶ横浜駅に到着すると、昨年五月に一気に時間が短絡した思いがしました。そういえば昨年五月の学会後乗りつぶしを連載したのがついこの前なので、そのせいかもしれません。これで京急電鉄は完全制覇です。
京急1000系202002横浜駅
京急横浜駅名標202002

続いて江ノ島電鉄に向かうべく、JRに乗り換えます。いわゆる「横須賀線」で鎌倉へ向かうのです。
因みに、今回は前もって乗る路線だけ決めていますが、列車の時刻は一切決めていません。江ノ電では観光が主体になるため、電車の時間を決める意味がない爲です。なので先ほどの京急も、特急三崎口行きに乗るつもりでいたわけではありません。だからこそ、突然泉岳寺に寄る、という柔軟な対応もできたわけです。

で、鎌倉駅までやってきました。横浜からの営業キロは22.2km、所要時間も約二十二分ですから、結構遠いです。
平日だというのにかなりの客が下りていきます。

改札を出て江ノ電の券売機へ。一日乗車券「のりおりくん」を購入します (\650)。江ノ電に一日乗り放題なだけでなく、沿線の各施設で特典がありますので、江ノ電観光をお考えなら、このきっぷが第一選択となるでしょう。

改札内に入って時刻表を見たとき、江ノ電が日中十二分間隔の運転であることを初めて知りました。確かに数分に一本走るようなところでないことはわかりますが、思ったより本数が少ないな、という印象でした。鎌倉駅構内には大きな土産物屋がありますので、電車が来るまでにじっくりと見て回りました。最後に「江ノ電クッキー」を買って帰ろうと決めたのもこの時でした。

電車が来るまでに乗客がぞろぞろ現れます。観光客より地元のおじさんおばさんが多い印象です。地元の足、という感じです。江ノ電は観光路線だと思っていましたが、それだけでもないようです。

さて、ここから江ノ電の旅が始まるわけですが、今回はここまでにします。
次回、江ノ電観光を一気にまとめてご紹介します。では。

<<次回に続く>>

2018.3/3-6 霧島の雄叫びに哭いた 第二十五章 早過ぎた春

第二十五章 早過ぎた春

 列車に乗り込んだ頃から気になり始めたのだが、眼球結膜の掻痒感と、漿液性の鼻汁を訴えるようになった。しばらくしてましになったが、これは花粉症に違いない。まだ三月なのに、と思ったが、南九州は季節が一歩も二歩も先に進んでいる。この分だとこの春は、二回も花粉症に悩まされることになるかもしれぬ。

 青島駅のあたりで漸く空が白みはじめ、伊比井駅で十分以上の長時間停車をしている間に、完全に明るくなった。長時間止まる場合、その理由は交換相手が駅に来るまで時間があるから、というのが普通だが、何故かこちらが伊比井駅に着くと、反対列車がすぐ現れ、そしてすぐ宮崎駅へと走り去ってしまった。こちらは特に何を待つわけでもなく、十分ほど停まったのである。その間、当然私はカメラを肩に提げ、駅舎の外に出た。
伊比井駅並び
伊比井駅名標201803

 階段で道路と繋がった駅舎は、出入り口の上を一本の蛍光灯が寂しく照らすだけで、当然駅員氏はいない。階段のすぐ横に生えた、背の高い南国植物が目に付いた。椰子の一種だろう。駅の外から見た線路のすぐ横は、蘇鉄の様な二股の小柄な木が生える以外、雑草が生い茂る荒蕪地であった。今にも線路に浸潤していきそうだが、そこは手入れがされているだろう。
伊比井駅椰子の木
伊比井駅空き地
志布志行き伊比井駅

 伊比井駅を出た列車は、遂に先ほどまで右側にあった、鰐塚山地を突っ切る。谷之城山の中を上り坂のトンネルで一気に抜け、これを出ると、ほっと一息つくように下り坂をするする走り、北郷駅に到着した。JTB時刻表では駅名がゴシック体で書かれる駅だが、無人駅である。日南市北郷地区は林業や農業の町で、飫肥杉の産地でもある。
北郷駅名標201803

 北郷駅でも列車交換を行う。朝は通学需要もあるから、列車が多く設定されているのだ。出発を車内で待つ間、駅に植えられた桜の花が咲き始めているのに気づいた。もうここは春なのだ

 一方で反対列車は、6:48発宮崎行きである。それなのに、側面のサボには「志布志←→佐土原←→宮崎」と書いてある。時刻表から察するに、これは昨晩6777D→1955D19:31佐土原発志布志行きを務めた車両で、志布志駅で一夜を明かした後、5:14発宮崎行きとして折り返す様だ。佐土原にやってくる運用は恐らく南宮崎18:17発、佐土原18:48着の6774Dである。矢印で描くなら南宮崎→佐土原→志布志→宮崎という形になるが、最初の南宮崎を入れると、サボに収まりきらない。一駅間くらいいいだろう、という判断で、上に示すサボになったのだろう。だとしたら、なかなかうまく運用がまとめられたサボである。

 北郷駅を出て、右側の山林を見ていると、いかにも人工的に、ごっそりと削られて山肌が露出した光景があった。その露出部を取り囲んでいる木々はいかにも杉、つまり飫肥杉である。なるほど、これが日南市の林業の姿らしい。列車はこの狭い平野を作ったであろう広渡川から離れ、同じく鰐塚の山並みから流れ落ちてきた酒谷川を渡って7:02、主要駅飫肥に到着した。
飫肥杉と山肌201803

 飫肥藩の城下町として知られる日南市飫肥地区は、九州の小京都として、観光客を多く呼んでいる。飫肥城と武家屋敷町の町並みは、重要伝統的建造物群保存地区に指定されているほどの場所である。城郭をこよなく愛する市電氏なら、是非来たがる場所だろう。そういうわけで、この駅はもっと賑わっていい筈だが、乗り降りは少なかった。

 7:13の出発まで時間があるので、また駅舎の外に出て見る。ここには流石に駅員氏がいて、旅名人を見せてから外に出た。駅舎は飫肥城を模した造りになっていて、城下町であることを主張している。歴史的な町並みは駅から北西に少し離れたところにあって、駅前からはその風情は味わえなかった。
飫肥駅舎201803
飫肥駅看板201803

<<次回に続く>>

お知らせ

次回は、2/12 京急・江ノ電一日遠征 の様子をお届けします。

プロフィール

こだま827号

Author:こだま827号
職業:大學生 醫學部醫學科
趣味:鉄道旅行、旅行記執筆、音楽、写真撮影、動画制作、醫學研究
好きな作家:宮脇俊三、笹沢左保、上野正彦
愛読書:JTB時刻表

カウンター

検索フォーム

ブロとも申請フォーム