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2015.12/19~25 聖なるひとり旅 最終章 妥協なし

最終章 妥協なし
新青森行き青い森車両

 翌朝、急行はまなす号は定刻6:19に青森駅へ到着した。私は最後のハイケンスのセレナーデを録音できたことに満足して上段寝台を辞した。そのとき、足が下段寝台の乗客に軽く当たってしまい、迷惑をかけた。寝台列車は、こうして他人に迷惑をかけないように気を遣うことを勉強していく場でもあると、どこかで読んだ記憶がある。

 はまなす号を降りた私は、その側面を一瞥しただけでつれなく階段を上った。そうしようと決めていたのではない。ただその時、未練がましく撮影するのは別れを辛くするだけだと直感的に思ったからだった。はまなす号の写真はこれまでに数多く撮っている。今更その数を増やしたところで最早意味はない。

 前回同様新幹線に乗り換える。青函トンネルの新幹線対応化の都合で、急行はまなす号が時刻を四十分ほど繰り下げて運行しているせいで、K1氏とともに乗った6:17発のはやぶさ4号に、タッチの差で間に合わない。代わりに6:49発のはやぶさ8号があって、これに乗らざるを得なかった。出発までたっぷり時間があるから、はまなす号を撮影しに行く余裕くらいあっただろうというのが、旅を終えた半年後に時刻表を見直して率直に思ったことである。

 はやぶさ8号は途中で多くの駅に停まりながら、のんびりと仙台を目指す。いわて沼宮内七戸十和田のみならず、一ノ関北上にも停まったので、4号の爆走ぶりを知る私からすると、随分かったるく感じた。

 そのはやぶさ8号を、前回同様大宮で降りた。いよいよ北海道全線フリーきっぷの終わりが近づいている。当初は、大宮から一気に東海道本線へ出る予定だったのだが、ここで赤羽事件の余波を受けた。

 北海道全線フリーきっぷは東京都区内の駅までが有効で、それ以降は青春18きっぷの効力を身にまとっていなければならない。そのため、再び赤羽駅で途中下車し、きっぷを交換して先へ進む必要があるのだ。当初は10:12発の各駅停車逗子行きにそのまま揺られているつもりだったが、時刻表を見直した結果極めて好都合な列車を発見した。

 この一本後に、特別快速小田原行きというのがある。つまり、逗子行きで赤羽まで行ってきっぷを交代し、続いて小田原行きに乗れば予定通りの行程に戻れることが判明したのだ。

 その計画通り逗子行きに乗って赤羽で降り、六日前に北海道全線フリーきっぷを通した改札に降りてきた。同じ改札に同じようにいるはずなのに、北海道まで行ってこいをしてきたせいで、一回りも二回りも成長してここに立っているような気さえした。私は改札内から改札氏に声をかけ、青春18きっぷに赤羽駅のはんこを押してもらってホームへ引き返した。

 今さっきの逗子行きもそうだが、次に乗る小田原行きの特別快速は、少々ややこしい存在である。これらは「湘南新宿ライン」という運行系統の列車で、湘南新宿ラインは難解極まりない。

 湘南新宿ラインとは、ざっくり言うと従来宇都宮や高崎方面から上野を結んでいた列車を、東海道本線に直通させる運行系統のことである。概念だけなら単純だが、路線を解剖してみると非常にわかりにくい。大宮を出て東海道本線に入る向きで考えてみよう。

 大宮を出た電車は、いわゆる宇都宮線と同様に浦和駅を経由して赤羽駅まで快速運転を行う。しかし、宇都宮線と違うのは、途中にさいたま新都心駅がないことである。実は、この区間で湘南新宿ラインは、東北本線の貨物線を通っている。貨物線にはさいたま新都心駅がなく、停まりようがないというわけだ。素朴な考えだが、この貨物線は、最早貨物よりも旅客列車の方が多く利用しているのではないか。

 さて、赤羽駅を出た電車は東北本線を通って田端駅へと向かうのだが、ここが厄介だ。電車は今貨物線にいる。だから旅客駅の「田端駅」を経由することはなく、代わりに貨物駅の「田端信号場駅」を素通りして、ここで山手線の貨物線に乗り込む。つまりここで電車は山手線上を走り出すということだ。そのまま山手線の旅客線と反時計回りに並走して、ようやく池袋駅に到着する。赤羽駅と池袋駅を結ぶ路線には赤羽線があるのだが、湘南新宿ラインはこの区間を赤羽線に比べて遠回りしていることになる。

 田端信号場駅から山手線との並走を続けて大崎駅まで来ると、再び厄介な分岐を迎える。品鶴線という愛称をご存知だろうか。品は品川、鶴は鶴見のことで、品川駅から武蔵小杉駅を経て鶴見駅までを結ぶ東海道本線の支線のことだ。実はこの品鶴線は、途中で一つ路線の合流を受ける。それが湘南新宿ラインなのだ。

 大崎駅を出た電車は品川へ向かうことなく、大きく右に湾曲して品鶴線に合流する。つまり電車はここで、山手線から東海道本線に乗り換えることになる。大崎駅から伸びているこの連絡線は一般に大崎支線と呼ばれているのだが、大崎駅から品鶴線との合流点までの線路は全て大崎駅構内という奇妙な扱いのせいで、一人前の路線として営業キロを頂戴していない。何とも可愛そうだが、これが世の中である。

 あとは横須賀線に直通する運転系統と同じである。田端信号場駅と大崎支線のせいで、極めて難解な路線となっているが、乗っているだけの堅気の衆からすれば別にどうでもいいことである。

 特別快速を小田原で降り、後続の電車で熱海へ、そしてその先のJR静岡へと進んでいく。だが今回は、行きも帰りも我慢は静岡駅までで終わりだ。

 行きは静岡から三島まで新幹線に乗ったが、帰りは静岡から掛川まで新幹線で短絡する。行きは時間短縮と疲労軽減の二つの目的だったが、帰りはそれらに加えてもう一つの理由がある。

 静岡駅で降りたとき、妙な空腹を覚えた。小田原到着時点で12:15だから既に昼時であるが、今回は昼食の予定を入れていなかった。それもこの後の予定のせいである。新幹線の乗り換え時間を利用して、目に入ってきたコンビニでパンを一つ購入しておいた。

 新幹線に乗り込んですぐにパンをかじった。不思議と腹にたまり、この後の活力になる気がした。新幹線では、掛川は静岡の隣である。

 ひと駅でこだま号を降りて、乗り換え口へと移動する。私は新幹線の乗車券と特急券を大勢の改札氏がいるそばで自動改札機に投げ込んだが、跳ね返されてしまった。すかさず改札氏が私に声をかける。
「どちらへ」
天浜です」
要約するとこんなやり取りをして、改札氏は新幹線からの乗り換え証明書とでも言おうか、そんな小さな紙切れを私に手渡した。これを乗り換え先の改札氏に渡すらしい。

 私が答えた「天浜」というのは、天竜浜名湖鉄道の略称である。そう、これからこの旅の締めに乗るのは、天竜浜名湖鉄道線、略して天浜線だ。これに日が沈まないうちに乗り切るために昼食を犠牲にし、さらに大金をはたいて新幹線に乗ったのだ。天浜線は1987年に国鉄二俣線の廃線を受けて、それを第三セクター天竜浜名湖鉄道が引き継いで経営している路線だ。起点は掛川駅、終点は同じく東海道本線の新所原駅である。経路は浜名湖の北側へと大きく迂回する形状で、東海道本線の側副路となっている。全長は67.7km、全線単線非電化である。

 私は新所原までのきっぷを券売機で購入し、例の紙切れとともに改札氏に提示してホームへ入った。天竜二俣行きは一両の気動車で、乗客はそれなりにいるが右側のボックス席を陣取れた。

 掛川を出てすぐに右へ曲がって東海道本線と離反する。沿線は磐田原、三方原と呼ばれる田園地帯だが、民家が多いせいであまり旅情がない。木々に囲まれて走る区間もあるが、それがどうした、というくらいのもので感動はまるでない。天竜浜名湖鉄道とは言うものの、浜名湖は天浜線と東海道本線が囲む領域の西側にあるから、まだだいぶ先にある。

 途中の桜木駅に停まったとき、その駅名標に驚いた。平仮名駅名標がある駅は多いが、ここの駅名標は橙色の枠に囲われた深い青の背景に白字の平仮名、その下には赤字で「リコー」と書かれている。この構図はJR北海道の、あのサッポロビールの駅名標とそっくりだ。北海道と関係があるのかはわからない。桜木駅の後でも、いくつもの駅でこの形の駅名標を見た。恐らく天浜線の標準仕様なのだろう。北海道旅行の帰りだけに、何かの縁を感じる。
桜木駅名標

 乗客の乗り降りが多い主要駅、遠州森駅をはじめとして、味のある木造駅舎の駅が多い。もちろん北海道そっくりの駅名標もずっと続いている。一度はどこかの駅にゆっくり滞在してみたいと思った。それとは対照的に車窓は平凡というかあまり魅力がないのだが、途中で一度だけ静岡県らしい茶畑を見た。島田駅を出て大井川を渡った後の茶畑の方が規模が大きくて壮観だが、それと比較するのは可哀想だ。

 天竜二俣駅で列車を降りた。隣の乗り場に新所原行きが止まっていて、今の列車と接続している。新所原行きに乗り込むと、まだ乗客は一人もいなかった。天竜浜名湖鉄道株式会社の本社があり、かつての二俣線の名前の由来ともなった一大拠点だが、案外利用者は少ない。ホームの柱にこれでもか、と北海道型の駅名標が貼ってあり、鹿部駅や栗山駅を連想した。

 相変わらず浜名湖は見えない。ただ浜名湖に備えて左側の座席に変えてある。天竜二俣駅の次の主要駅は西鹿島駅遠州鉄道の終点でもある。遠鉄は以前「レールファン」の関東旅行の際、ある先輩と横浜の関内で集合する前に一人で乗りに来た。だから西鹿島駅にも降りたことがあるわけで、随分と懐かしく思った。

 浜名湖はまだかとうずうずしながら三十分ほど退屈な車窓を見ていると、ついに民家越しに湖沼が見えてきた。もちろん浜名湖である。そしてそのまま数分走って駅に到着した。その駅は一面一線で、ホームの反対側はすぐ浜名湖である。線路が浜名湖岸すれすれに敷設されているのは、全線を通してもこの駅構内だけだ。

 せっかくの浜名湖だが、目の前に鎮座する東名高速道路のせいで全く広大に見えない。美的センスは最悪だが、ここはカモメが群れを作って現れるようだ。列車が止まるとすぐにカモメの群れが目について、一斉に飛び交った。橙色の夕日を背景に真っ白なカモメがふわふわと飛ぶ様は、東名高速の醜態を補って余りあった。この駅が浜名湖佐久米駅であると知ったのは、これを書くために駅の名前を調べたときだった。
浜名湖佐久米駅

 その後浜名湖は再び車窓から消え、延々と内陸を走り続けるだけだった。途中の三ケ日駅では列車交換で長めに停まった。静岡県の三ヶ日と言われると、高校時代日本史を履修していた私は、どうしても古代人の三ケ日人を想起する。ちなみに、遠州鉄道の浜北駅に着いたときも、同じように浜北人を連想したものだった。地元近くの明石原人は実証されていないが、これらは本物だと確認されているそうだ。

 終点新所原駅は、一面一線の単独駅で、JRの駅とはほんの少し離れている。かつてはともに国鉄だったのだから、もう少し仲良くしてもよさそうだが、改札は分離され、それどころか駅舎は別々になっている。愛想がないな、と思いつつ改札を出ると、天浜線の新所原駅にはうなぎ屋が併設されていた。浜名湖のうなぎを味わえる店とはなかなかいいなと思ったが、浜名湖はうなぎの養殖で知られる。私はかつて、とれたて天然うなぎの蒲焼を賞味してまるで雷に打たれたかのような経験があるから、それ以来養殖うなぎには手が伸びなくなってしまった。国産の養殖うなぎならまだ希望が持てるかもしれないが。

 真新しい駅舎のJR新所原駅に入り、青春18きっぷを提示してホームへ向かう。後は豊橋、金山、米原で電車を乗り換え、家に帰るだけだ。私は会社帰りの大人たちがちらほら散見されるホームに立ち、反対ホームにある駅名標に目をつけた。この旅の最後の写真の被写体にそれを選び、その後は一切シャッターを切らなかった。

 持ち帰ったじゃがポックルは見事な味であった。アルバイト先でこれが絶賛を浴びたことは言うまでもない。だが次に私がじゃがポックルを買って神戸に帰ってくるのは、何年も何年も先のことになるだろう。

<<完>>

『聖なるひとり旅』は完結です。次回以降は、年が明けた2016年3月の北陸旅行の様子をお届けします。
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プロフィール

こだま827号

Author:こだま827号
職業:大學生 醫學部醫學科
趣味:鉄道旅行、旅行記執筆、音楽、写真撮影、動画制作、醫學研究
好きな作家:宮脇俊三、笹沢左保、上野正彦
愛読書:JTB時刻表

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