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2016.3/21~25 さらば時刻表 第四章 越中の小京都

第四章 越中の小京都
 翌朝、私は衣類をホテルの部屋に放置して、リュックサックを軽くしてから宿を出た。そして真っ先に城端線乗り場へと向かった。この日の一番列車は高岡5:53発の城端行きである。私はこの列車のせいで、高岡泊まりを余儀なくされたのだった。

 車掌氏二人が手持ち無沙汰に発車を待っているのを横目に、私はまだがらがらのキハ40系に乗り込んだ。そして5:52、跨線橋で繋がった別のホームに、普通電車金沢行きが入線した。私はあることを証明しようとして、その様子をじっと見つめていた。

 私が高岡泊まりを余儀なくされた理由がここにある。この金沢行きは富山を5:34に出て、高岡には5:52に到着する。つまり私が今乗る城端行きと一分接続をしているように見える。ように見える、というのは時刻表で推測するしかない私の主観だ。調べてみれば、城端線乗り場と北陸本線乗り場はホームが分かれている。だからこの一分というのは接続の爲の一分ではなく、ただの偶然だということも考えられた。私が知りたかったのは、この金沢行きが城端行きと接続できるのかということである。

 金沢行きの入線とともに、城端行きの車掌氏が動きを見せた。私は金沢行きの乗客になったつもりで、その必死で階段を駆け上がり、跨線橋を渡る姿を想像した。城端行きはなかなか扉を閉めず、少しもたついてから出発した。その出発は時刻表通り、金沢行きと同時であった。結論を言うと、金沢行きからの接続は可能だった。城端行きの車掌氏は、恐らく金沢行きからの客が階段を下りてこないか確認していたのだろう。

 こうして、私が今晩泊まる富山の宿より千円ほど高い高岡の宿に泊まったのは無駄だったということになるが、富山の宿よりも設備が抜群によかったから、何も文句はない。

 城端線は、北陸本線の高岡駅と、白川郷行きのバスが発着する城端駅を結ぶ、全長29.9kmの地方交通線で、全線単線非電化である。私にとって、北陸に残る最後のJR在来線であった。昨日は新高岡まで生かじりしたが、今日は城端まできっちり乗り通す。

 新高岡の次の二塚駅を過ぎたところで、左に分岐する長い線路を見た。車両停泊の爲の引き込み線かと思ったが、調べによるとそうではないらしい。

 これは貨物専用線のようだ。城端線の主要でもない小さな駅に、貨物の駅があるというのはどうも納得しがたいが、これは二塚駅から1.4km先の製紙工場に伸びているようだ。ところが、2015年9月をもって貨物の運用は終了し、現在は使用されていない。廃線と考えても宜しかろうが、貨物列車が臨時扱いになったそうだから、書類上はまだ現役の線路なのだろう。

 座席は進行方向左側にとった。距離的にかなり厳しいが、ひょっとすると立山連峰が見えるかもしれないと思ったのである。そしてその浅薄な読みは当然外れた。曇天で視界はすぐれず、線路を挟む田園風景しか見えない。時期的に言って稲が生えているはずはないのに、黄緑色が鮮やかな区画が目に付く。田というより畑だろうが、その形状は田に似ていると思った。雑草のようにも見えるが、恐らく麦だろう。これ以後も城端線沿線では、この光景がよく見られた。

 列車が田園風景を進み、やがて減速しながら両側に町並みを見ると、そこは主要駅砺波である。砺波市の代表駅で、城端線では高岡駅に次いで利用者が多いという。砺波始発・終着の列車も設定されていて、当然列車交換が可能な駅構造である。

 反対列車行き違いで、数分止まった。駅名標を撮ってから車内に戻り、反対列車を確認すると、通称高岡色のキハ40系がいた。高岡色は、あずき色の車体に白い帯が入った塗装のことで、高岡周辺でしか走っていないことからそう呼ばれる。年々数を減らしているということで、撮影できたら運がいいと思っていた。昨日高岡に戻ってきたとき、私が乗ってきた高岡どまりの到着と同時に出発した城端行きには、この高岡色の車両が組み込まれていた。降りて撮影したいと思ったが、私の列車が数分遅れていた爲、それは叶わなかった。

 愛用の地図帳で見た限り、恐らく単調な路線だろうという予想をしていた。そしてそういうよくない予想は、大体当たってしまう。「嫌な予感」が現実になりやすい人間なのだ。砺波周辺は砺波平野のど真ん中で、線路も急激な起伏がなく、走りは実に単調だ。

 高岡駅から一時間強で終点城端駅に到着した。呆気ないがこれで城端線は終了である。駅前には、白川郷行きの路線バスがやってきた。本来なら、私はこのバスで白川郷に行くはずだった。しかし、このバスの運賃制度があまりに納得のいかないものだったので、怒った私は白川郷観光をやめにしてしまった
城端線富山行き城端駅

 白川郷に北から迫るバスは、基本的に高岡駅を出発して新高岡駅や城端駅を経由し、白川郷に至る。高岡と城端はかなり距離があるから、白川郷までの運賃にもかなりの差があるだろうと考えるのが順当だ。ところが、高岡駅から白川郷までの片道は\1800、城端駅からでは\1700である。これでは城端駅から乗るとかなり損をすることになる。それに片道\1700というのも正直高すぎる。

 この仕様にはさすがに我慢ならず、白川郷に行く代わりに城端の町ぶらをして、早めに高岡へ帰ることにした。旅程が大幅に早まるのだが、それは高岡から敦賀まで足を伸ばすことで時間を稼いで補うことにした。

 駅前には両底面が抜けた白い三角柱が立っていて、
「ようこそ 越中の小京都 城端へ」
と書いてある。また小京都か、と呆れた。小京都というのは、その町並みや風情が昔の京都に似ていることからそう呼ばれる。だからあちこちに小京都はあって、むしろ京都はそうした町並みの一つに過ぎないとすら思える。ここに、昔の京都中心主義が色濃く残っているわけだ。

 その小京都城端を歩いていくのだが、駅前は普通の道路である。左へ曲がって山田川という川と渡ると、寺院が連なる地区に入る。この周辺は、仏教信仰が昔から篤い地域なのだろうか。そのあたりをぶらぶらと歩いていると、通学途中の小学生がちらほら現れた。

 すると、しゃりんしゃりん、と鈴の音があたりに響いた。どこから聞こえているのかわからなかったのだが、小学生と同じような速さで歩いていると、その音が私に付いて回る。なるほど、鈴は小学生のランドセルについているらしい。一体何の爲だろう。防犯ブザーの代わりだろうか。いや、鈴は非常時でなくても鳴るから、そうとは考えにくい。この地区の伝統なのだろうと納得せざるを得なかった。

 数ある寺院の中で最大のものが善徳寺である。拝観料\250が必要だそうだが、料金所がどこにも見当たらなかったので、少し境内に入ってみた。朝から何かの講話でもあったのか、中から地元の人が何人か現れた。
 境内はどこにでもあるような風景だった。時期的に紅葉も桜もないから、境内は退屈を極めた。ただでさえ暇を持て余しているが、退屈は苦痛であるから、早々と善徳寺を出た。

 駅に戻るには早すぎるから、とりあえず駅と反対方向に歩いていると、周辺地図を発見した。それによると、街の東はずれに行けば水車の里なる地区があるらしい。水車とはまた渋い。小京都の名に相応しいではないか。私はどういうわけか水車が好きだから、そこへどうしても行ってみたくなった。

 列車まで時間が充分あることを確認し、私は再び駅から遠ざかり始めた。なるほど、確かに水車がある。水を上から注がれて、せっせと回っている。その水車の背景に、またしても白い頂きの山並みがある。方角から考えて、白山連峰に違いない。城端でも雪山が見られるとは思わなかった。茶色い水車と遠景の白い頂きは、実に好対照であった。
城端水車の里

 城端駅に戻ると、そこには私と同じ列車の改札を待つ、地元の人々の姿があった。列車の出発までまだかなり時間があったので、待合室に腰を下ろす前に一旦観光案内所に入ってみた。するとそこでは、アニメの紹介がされていた。そういえば、この城端はとあるアニメの舞台であった。だから城端にカメラを持った観光客が居れば、それはいわゆるアニメの聖地巡礼客だと思われてしまう。私はアニメには微塵も興味がないから、これは迷惑な風評被害だ。しかもたちが悪いことに、このアニメは少女系の恋愛ものらしい。こういうアニメを愛好する人が「オタク」呼ばわりされる傾向にあるから、私は何もかも正反対のレッテルを貼られているのかもしれない。あまりアニメの展示を長く見ていたくないので、早々と待合室に戻った。

中学生だか高校生だかわからない女子連中は目障りであったが、おばあさん方とストーブを囲んで列車を待つのは、冬が厳しい地方の駅特有の温かみを感じさせた。私はふと、三か月前に行った室蘭本線母恋駅を思い出した。

 駅舎の窓越しに、出発を待っている列車の姿が見える。私はにやりとした。やはり高岡色であった。あの後高岡で折り返して城端にやってきて、次の折り返しまで一時間弱停留するのだ。早く写真が撮りたいが、まだ改札が始まっていない。仕方ないので、自動販売機でジュースを買って歩き疲れを癒した。
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こだま827号

Author:こだま827号
職業:大學生 醫學部醫學科
趣味:鉄道旅行、旅行記執筆、音楽、写真撮影、動画制作、醫學研究
好きな作家:宮脇俊三、笹沢左保、上野正彦
愛読書:JTB時刻表

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