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2018.3/3-6 霧島の雄叫びに哭いた 第十五章 後遺症

第十五章 後遺症

 新水俣駅は、下り坂の途中にある新幹線接続駅だが、在来線ホームにも駅周囲にも人気はなく、非常に寂しい場所だ。新幹線の利用者も一日に六百人を割っていて、在来線との相互乗り換えも少ない。元々ここは初野という信号場であって、旅客駅ではなかった。そんな駅だから、この寂寥感も頷ける。
新水俣駅名標

 水俣駅構内にも、夏蜜柑が実っていた。さすがに夏蜜柑押しの地域である。ここでは乗客が七人おり、新たに二人乗ってきた。この時点で乗客は十人であった。一両のみの運行とはいえ、これでは経営は苦しいに違いない。

 水俣駅を出ると、左側に新幹線の高架が同じ高さで見える。すると前方からN700系がやってきて、新幹線と気動車の異色のすれ違いが叶った。向こうは今から三太郎越えである。こちらはこの後、矢筈山の麓をトンネルで貫き、いよいよ鹿児島県に出る。袋駅を出たところに、「県境あり」の標識があった。

 水俣に来たからには、水俣病について触れておかないわけにはいかぬ。戦後の復興期に入った1950年代、水俣で奇病が発生した。「猫が踊る」という言い回しが有名なようだが、発見の契機は猫だったという。水俣の猫が激しい痙攣を起こし、やがて死んでいったのである。すると、あろうことか人間にも、手足のしびれや視聴覚障害などを訴える者が現れ、死者まで出てしまった。水俣で何かが起きている。そう気づかれたのが1956年のことだ。新日本窒素肥料、現チッソ株式会社水俣工場附属病院長の細川一は、この年の5/1、五名の患者を「原因不明の中枢神経疾患」として保健所に届け出た。これが後に云う水俣病、本態はメチル水銀中毒症である。その最重症例はハンター・ラッセル症候群といって、今でも私たち医学生は、中毒医学で勉強する内容になっている。だから私にとって、水俣病は全く無縁でもない。

 「猫が踊った」のが手掛かりになったのか、猫に水俣湾で獲れた魚を与えると、「原因不明の中枢神経疾患」が再現された。原因は水俣湾にある、というところまでわかったのが1957年時点である。その後、今日日知られている様な、メチル水銀が諸悪の根源であることが突き止められたのは、二年後の1959年であった。そこまでの経緯は長くなるし、第一これは旅行記であるから、鉄道以外は概略しか触れられない。興味があれば調べてみられたい。そのきっかけを与えるのが、私の役目なのである。

 現在水俣湾の水は安全が確認され、むしろその水質は熊本県でも有数のものになったらしい。だが、肝心の漁業については、水銀に汚染された魚を捕獲した結果として、湾内の魚が減ってしまい、漁獲量も落ちてしまった。水俣病の後遺症は、こんなところにもあるというわけだ。さっき眺めていた津奈木の海も、これから見えてくる水俣湾の水も、昔は死の水だったと思うと時代の流れを感じる。
水俣湾

 実は、芦北町が甘夏で有名なのには、水俣病が関連している。水俣湾から広がって八代海の汚染によって漁業が壊滅した沿岸地域で、代替産業として甘夏栽培が盛んになったそうだ。

 さて、県境を越えた列車は鹿児島県出水市に入った。海側には大きなタンクの様な筒が並んだ光景があり、沿線は住宅が多い。出水市最初の駅、米ノ津駅は無人駅であるが、近くに高校があることから、利用者はそれなりに多い。ここでは列車交換を行った。乗り込んで来た客に対して運転士氏が、
「向こうの列車じゃないですね」
と確認する。親切な運転士氏だ。
米ノ津駅名標

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こだま827号

Author:こだま827号
職業:大學生 醫學部醫學科
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好きな作家:宮脇俊三、笹沢左保、上野正彦
愛読書:JTB時刻表

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