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2019.7/25~29 在りし日は帰らず 第十九章 黄色い列車王国

第十九章 黄色い列車王国

階段を上がってJRの改札を抜け、駅舎内をぐるりと回り込むように歩いて、島原鉄道の改札口へ辿り着いた。随分と仲が悪いご様子だ。改札の外からも、日向色と言いたくなるような、きつい黄色の列車が見えている。
島原外港行き諫早駅201907

島原鉄道線諫早駅島原外港駅を結ぶ43.2kmの路線で、全線単線非電化である。2008年迄は島原外港駅から加津佐駅迄の35.3kmがあったが、利用者僅少により廃止された。2019年10月、つまりこの旅の約二か月後に、大幅な駅名改称を行ったが、これはあくまで2019年7月末の記録であるため、JTB時刻表2019年3月号に従って、以下全て旧駅名で記す。島原港駅島原外港駅と記載したのもわざとである。

島原鉄道は、長崎自動車というバス会社の子会社で、れっきとした私鉄路線だ。だから国鉄から見捨てられた第三セクターの様な寂しさはあまりない。諫早雲仙島原南島原の四つの市を結ぶ重要な地元の足である。その爲か通学客が多く、JRからの乗り換えも多い。

私は海の眺めを期待して、進行方向左側に席をとった。

6:50、ゆっくりと動き出した列車は、少し長崎本線と沿った後、左へ緩やかに曲がって本諫早駅に停車した。文字通り、ここが諫早市の中心部である。生徒の乗り降りも盛んだ。ホームの背中側には
ようこそ黄色い列車王国へ
という黄色い看板がある。黄色を押してくるとは、どこぞの国鉄まがいの支社に負けていない。
幸せの黄色い列車王国201907

諫早湾干拓事業の中心地にある干拓の里駅を出ると、左車窓はにわかに田畑が増え、視界が開けた。ちょうどこの辺りを起点に北東へ舌状に伸びた陸地があり、これが干拓地だ。干拓地内部をgoogle mapで見てみると、北海道を思わせる真っすぐな道路が、左右を更地に挟まれている。南国にいるのに北海道とはけったいな表現だが、仕方ない。車窓に戻ろう。遠くには対岸の山々が見えてくる。昨日麓をぐるりと回った多良山経ヶ岳だろう。昨日は近すぎて山容が見えなかったが、遠くで見るとなだらかで美しい。
多良山島原鉄道201907

愛野駅から雲仙市に入った。線路脇の家の黒瓦の屋根に赤蜻蛉が映える。赤蜻蛉のうち学名を知っているのは秋赤音しかないのだが、長崎県ではなんと絶滅危惧種らしい。長崎県に限ったことではないが、水田に用いる農薬が、秋赤音の幼虫に悪いようで、1990年代後半から、全国的に数が激減しているとのことだ。だが、飛び交う蜻蛉の数は凄まじい。一昨日の平成筑豊鉄道とは比べ物にならない。これは秋赤音ではないのだろう。尾は赤というより橙で、種はわからない。 

雲仙市最大の駅、吾妻駅で生徒が多数乗ってきた。市役所の最寄りでもあり、住宅も多い。ここから先、有明海に一気に近接し、左車窓は海の眺めとなった。無論右側には雲仙普賢岳が鎮座している筈だが、今は海に集中する。神代町多比良町湯江と続々乗ってきて、私の乗るボックスも埋まってしまった。もっと若者がいない寂しい路線だと思ってきたから、嬉しい方向に裏切られた。

沿線の作物は唐黍や蓮が目立つ。 蓮は蓮根栽培の爲に植えているのだろうか。蓮根栽培は霞ヶ浦の茨城県が断とつの一位で、長崎県は別に有名な産地ではない。上野公園の不忍池みたいな、観賞用かもしれない。湯江〜大三東間には牛も飼われていた。北海道の様な放牧ではなくて、養豚場や養鶏場の様な感じであるから、養牛場とでも言いたくなる。しかし養牛場と言う単語は日本語にないようだ。

大三東駅は海に面していて、この近さは四国の下灘駅安和駅を思わせる。夕暮れ時に駅名標とベンチが茜色をまとったら、非常に感傷的な風景になる。ホームにぼーっと突っ立って、海を眺めていたくなる駅だ。下りたいが、下りられない。
大三東駅1_201907
大三東駅名標201907

さっきから沿線は古い木造の家ばかりで、火事でも一度起これば忽ち全滅してしまいそうだ。島原に空襲はあったのだろうか。長崎県のホームページには、長崎県の各地域が、戦争によってどんな被害を受けたか記載したページがある。これを見ると、島原半島各地も幾度となく連合国軍に狙われたが、機銃掃射や小規模な爆撃が主体で、いわゆる大空襲はなかったものと考えられる。

長いホームを薄暗く包むトタン屋根。ずらりと並んだ看板。島原駅の風格は、群を抜いている。予想通りここまで乗ってきた乗客の殆どがこの駅で下りてしまった。駅の改札は機能的狭窄を来たし、悲鳴を挙げている。地方私鉄は頑なに自動改札機を導入しないところが多く、昔ながらの風情が残っていてよい。電子化と省力化の時代なのに、こういう古臭いものが残っている。それが現代日本の良いところなのだ。
島原駅ホーム201907

立派な車両基地と側線群を横目に出発した列車は、続いて島鉄本社前駅で残った客の幾らかを下ろした。中年のサラリーマン風の客もおり、島原鉄道関係者かもしれない。しかし、駅からは島鉄本社が何処なのか一目ではわからない。「島原鉄道」と大きく書いた看板や銘板がないからだ。

次の南島原駅は非常にややこしい駅名だ。ここは島原市であって、南島原市ではない。つまり、「島原駅の南にある駅」という意味であって、南島原市の主要駅、という意味ではない。ここが長崎県最東端の駅である。ちなみに南島原市は、雲仙地溝帯の南側領域と殆ど一致する。

8:08、終着の島原外港駅に到着した。駅は一面一線の簡素なものだ。駅のすぐ東側に船着き場があって、熊本フェリー九商フェリーが熊本港との間を三十分で、やまさ海運が三池港との間を五十分で結んでいる。後者は港と大牟田駅とを結ぶバス、さらに大牟田駅からの西鉄特急と連絡している。2006年までは三角港とも結ばれていた。これはかつて、宮脇俊三氏が島原半島に来た際、利用するかどうか迷ったフェリーである。
島原外港駅名標201907

この先の線路は、赤茶色に錆び、草ぼうぼうでいかにも死んでいた。だが少し前まで、この先南島原市の南側を縁取る様に加津佐駅迄鉄路があったのだ。もっと早く鉄道ファンの世界に入っていれば、ここにも乗れたのに。そんな私の虚しさを絵に描いた様な光景だった
加津佐への鉄路201907

8:24発の急行で引き返す。島原外港駅からの帰りは、先ほどとは逆に西側座席をとった。行きが有明海なら帰りは雲仙岳を拝もうと考えたわけだ。ところがその雲仙岳は雨で霞んでいて、頂が見えない。しかも雑然と商業施設や家が断続するから、写真も撮りづらい。雲仙を見るのは少しだけにして、旅の記録を打ち込むことに集中した。

島原駅で交換の爲三分停車した。この間に、風格あるホームに下りていると、突然大粒の雨が降り始めた、先程からどんより曇っているな、とは思っていたが、とうとう降ってきた。突然最大限の雨脚で降り始めるのが夏らしい。その雨も島原駅を出たら直ぐに弱くなった。全く天気が安定しないのは、九州らしい。
快速諫早行き島原201907

急行は多くの駅を軽やかに通過し、先程より所要時間が十三分も短くなって9:29、諫早駅に戻ってきた。また雨だ。やれやれ雨か、と思ったが、今日は屋外を歩いての移動が全くない。そうなると天気など関係ないわけで、何とも思わなくなった。列車から外を眺める分には、雨でも晴れでもそれぞれの美しさがあるのだから、悪い気がしないのだ。

<<次回に続く>>
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こだま827号

Author:こだま827号
職業:初期研修医
趣味:鉄道旅行、旅行記執筆、音楽、写真撮影、動画制作、醫學研究
好きな作家:宮脇俊三、笹沢左保、上野正彦
愛読書:JTB時刻表

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