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2020. 3/14-15 「マウント口」 第三章 栄枯盛衰

第三章 栄枯盛衰
サンフレッチェキハ40小郡_202003

山口駅からの観光というと、瑠璃光寺五重塔が恐らく一番有名だが、駅からかなり遠い。遅くとも山口駅9:42発に乗らないとこの後の宇部線に間に合わないから、これは断念せざるを得ない。その代わりに、道中の案内看板で見つけた「ザビエル記念聖堂」に行ってみることにした。駅から1.5km弱で、往復にはちょうどいい。

銀杏並木を抜け、商店街を直角に通り抜け、市役所をぐるりと回り込む様にして歩いていくと、記念聖堂を擁する亀山公園へ上る坂道が現れた。ザビエル記念聖堂の案内も出ているが、見てみると臨時閉館だった。まだ朝早いから、そもそも開館していることを期待していなかったが、これも新型武漢肺炎の感染拡大防止策である。
武漢肺炎202003

満開の梅と、南天の様な赤い実をつけた大木の横を歩いて上り、ザビエル記念聖堂の前に立った。二本の塔とテントの様に聖堂全体を覆う屋根からなるこの聖堂は、1991年に火事で失われた初代聖堂の跡を継いだ二代目である。この造形は初代の面影を全く残しておらず、再建当時は地元の反発もあったという。だが現在では、特に二本の白い塔が周囲の森林の緑と調和した美しい建築物として、愛され定着している。折角なら中でパイプオルガンの響きを聞いてみたいところだが、閉館ならやむを得ない。パイプオルガンというのは、建物そのものが音響装置の一つとなったオルガンで、キリスト教会の象徴だ。
亀山202003
ザビエル聖堂202003

聖堂の正面には亀山公園の山頂がある。時間に余裕があるので階段で上ってみるが、この時少し雨が降ってきた。私が外を出歩く時は、不思議と雨が降り止むことが多いのだが、今回は不発とはいかないまでも不完全に終わった。

聖堂を含むこの小高い丘は、外観が亀の甲羅に似ているから亀山という。その山頂は歩道と芝生、それに美しい松の木で整備された公園になっていて、市街地を見下ろせる。ここは元々、毛利秀元が長山城を築城しようとして断念した跡地であり、毛利家ゆかりの場所だ。その証拠に、毛利敬親の銅像もある。私はこの山頂を一周し、北側に瑠璃光寺五重塔がちらとでも見えないか、と探してみたが、無駄であった。

早足で山口駅に戻り、9:16発小郡行きに乗り込んだ。武漢肺炎のせいで人出が少ないと思ったが、感染者が少ない山口県ではそうでもない。

湯田温泉駅では多くの客が乗り、老若男女で車内が賑わい始めた。温泉旅行帰りと思われるキャリーバッグの客などもいる。武漢肺炎のせいで観光が壊滅的な被害を受けているので、少しでも売り上げに貢献してくれたら嬉しい。空も雲が薄くなり、かすかに青味を帯びてきた。山口駅の手前の民家で初めて見て以来、車窓に蜜柑の木がよく出てくる。庭に植えられているものが多く、蜜柑畑とまでは言えない。

繰り返すが、小郡~山口間は地域住民の足としてしっかり機能しており、上り下りとも乗車人数が多く、本数も非電化路線とは思えぬほど多い。先ほどまでの起伏が嘘の様に、平坦な盆地を平穏に進む。左右が山で挟まれているのはいい景色だが、あまり変化がないのが面白くない。だが天気は着実に回復して行き、9:38小郡駅に着いた時には澄んだ青空になっていた。

一番乗り場の「りほごお」の駅名板を見物し、手洗いと宿の下見を済ませてもまだ時間がある。今から乗る宇部線宇部新川行き10:31発なのだ。暖房の効いた待合室でもあれば、そこで旅の記録をまとめようと思っていたが、ベンチはあっても気が利く待合室はない。すると、橋上駅舎から八番乗り場に停車した末期色105系が見下ろせた。前面には「宇部新川」と書いてある。
りほごお202003
小郡駅名標202003
宇部新川行き20200314

駅舎のベンチに座っている必要はないので、早速ホームに降りた。まだ扉が開いていないか、と一瞬躊躇ったが、見てみると扉が開いているどころか、三十分も前から暇そうにロングシートで乗客が出発を待っている。家で何もせず過ごすのならここで待っていても同じだが、武漢肺炎の感染危険性を考慮すると、少しでも長く家にいる方がいいとは思う。

私もmacbook airを取り出し、早速山口線の記録をつけ始めた。旅の半年や一年も後に、あれこれ思い出したりgoogle mapで地形を復習しながら書き進めるより、見たばかり・感じたばかりのことを素直に綴る方がよほど効率的だ。

宇部線小郡駅を起点に、周防灘に沿って宇部市中心部の宇部新川駅を経由し、山陽本線の宇部駅に至る33.2kmの幹線で、全線単線電化である。こんなローカル線なのに幹線とは、と思うが、これは美祢線と同様の事情である。詳しくは宇部岬駅と、美祢線のところで話す。

建前では小郡と宇部市を結んでいるのだが、小郡~宇部新川間はバスの方が早いなど、路盤の悪さゆえの鈍足ぶりが目立ち、鉄道としての利点が全く見られない。その爲ここ数年で、隣の小野田線もろとも鉄道を廃止し、東北の気仙沼線と大船渡線の様なバス高速輸送 (BRT) に切り替える案が浮上している。まだ結論は出ていないが、鉄道廃止とバス化が進む時代の趨勢には、逆らえないだろう。次私が宇部市に来る時、きっと鉄道は山陽本線しか残っていない筈だ。

出発した電車は山陽本線と2km超えもの長きにわたって並走し、間を竹林が分け入る様な形で分岐した。車窓には、かつて宮脇俊三氏が『時刻表2万キロ』で綴った様に竹と赤土が目立っていて、時折葡萄畑の様な敷地もあった。これは宮脇氏が見た通りの光景だろうが、今と違って太陽光発電のソーラーパネルはなかっただろう。しかし宮脇氏やレールファンの『阪神電車』氏が指摘する様に単調で長閑な路線だから、夜行バスの無理が祟って眠たくなってきた。しばらく寝ては覚め、寝ては覚めを繰り返す様になってしまった。ふと気がつくと、家庭菜園の菜の花や蜜柑の木が目を保養してくれた。蜜柑には皮が黄色いのも、濃い橙色のものもある様だ。
宇部線車窓202003

電車は二両編成で、終点の宇部新川駅以外では、後ろの車両の扉は開かない。しかし、地元住民であってもこれを理解しておらず、二両目の位置に立って扉が開くのを待つホーム上の客がいるし、逆に降りようとして二両目の扉のボタンを押す乗客もいる。昨日今日出来た新しい規則ではない筈なのに、と訝しんだが、真相を確かめようがないので詮索はやめた。

宇部岬駅の周辺で、南へ進んできた電車は、北へと舵を切り始める。地図で言うなら宇部線の左半分ということになるが、この一帯はかつて炭鉱があり、宇部線は元々その石炭輸送路線として開業した。そのおかげで宇部線は重要な貨物路線であり、国鉄末期には幹線に指定されて今に至る。宇部岬駅も割と最近まで貨物駅だったが、2009年美祢線重安駅との間で運行されていた石灰石の貨物列車が廃止され、2014年には正式に貨物駅が廃止された。この石灰石輸送については、翌朝の小野田線で語ることにする。

<<次回に続く>>

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久しぶりに車内放送動画をアップしましたので、是非ご覧下さい。↓


旅行記の該当記事→ 2017.3/24-27 二度と拝めぬ国鉄色 第九章 思い出の山
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プロフィール

こだま827号

Author:こだま827号
職業:初期研修医
趣味:鉄道旅行、旅行記執筆、音楽、写真撮影、動画制作、醫學研究
好きな作家:宮脇俊三、笹沢左保、上野正彦
愛読書:JTB時刻表

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